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山岡浚明 やまおかまつあけ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

山岡浚明
やまおかまつあけ

[生]享保11(1726).江戸
[没]安永9(1780).10.15. 京都
江戸時代中期の文人。通称,佐次右衛門。幼名,千次郎。狂名,大蔵千文。号,明阿。幕臣,儒学者,また賀茂真淵門下の国学者。泥朗子の名で洒落本『跖 (せき) 婦人伝』 (1753) を書き,また『逸著聞集』を著わした。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

山岡浚明 やまおか-まつあけ

1726-1780 江戸時代中期の国学者。
享保(きょうほう)11年生まれ。幕臣。寛延2年洒落(しゃれ)本「跖(せき)婦人伝」をあらわす。宝暦9年賀茂真淵(かもの-まぶち)に入門。古典の考証にすぐれ,「類聚(るいじゅ)名物考」「武蔵(むさし)志料」を編集した。安永9年10月15日死去。55歳。字(あざな)は子亮。通称は左(佐)次右衛門。号は梅橋散人,盍簪楼(こうしんろう)主人,泥郎,明阿弥(みょうあみ)など。著作はほかに「逸著聞集(いつちょもんじゅう)」など。
【格言など】およそ物々長ずれば必ず方図なし(「跖婦人伝」序)

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朝日日本歴史人物事典の解説

山岡浚明

没年:安永9.10.15(1780.11.11)
生年:享保11(1726)
江戸中期の国学者。本姓大伴氏。通称は左次右衛門,幼名千次郎。号を盍簪楼主人,梅橋散人,大伴宿禰,武庫散人,澹斎といい,剃髪後は明阿弥陀仏,明阿を用いた。狂名大蔵千文。幕臣の名家山岡家3代・影煕の次男。出生時に兄はすでに没し,12歳の元文2(1737)年に父が死去すると跡式450石を相続した。寛延2(1749)年,24歳で西丸御小姓組に番入り。同年に洒落本『跖婦人伝』を泥郎子の名で執筆,宝暦3(1753)年にこれを刊行した。同じ年に病気を理由に御番御免となり,小普請組入り。34歳より賀茂真淵に入門,以来,日本古典の校勘研究を本領とした学芸に出精した。40歳ごろから師との間が疎遠となった。明和8(1771)年46歳のとき,念願であった隠居が許され,忽ち剃髪,改号した。晩年は京阪や陸奥に遊び,ついに京で客死した。宝暦5年ごろに起稿した和漢古典の叢書『類聚名物考』は清朝考証学への傾倒を示す一方,『跖婦人伝』や『逸著聞集』(1771)にみる知的諧謔の才能は,当代有数のものといえる。平賀源内,大田南畝などに重んじられ,中期江戸文芸の高雅卑俗にわたる懐の深さを身をもって示した知識人であった。<著作>『類聚名物考』(1974,復刻)<参考文献>中野三敏「山岡浚明年譜考」(近世文学史研究の会編『近世中期文学の諸問題2』)

(ロバート・キャンベル)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

やまおかまつあけ【山岡浚明】

1726‐80(享保11‐安永9)
江戸中期の国学者。姓は大伴,名は浚明,通称佐次右衛門。号は梅橋散人,剃髪後は明(みよう)阿弥陀仏,明阿,狂名は大蔵千文。幕臣山岡家第3代景凞(かげひろ)の子として江戸に生まれる。和漢の学に通暁し,特に日本の古典籍にくわしく,はじめ賀茂真淵に師事するが,独力で大部の類纂書《類聚名物考》を著すほか,古典の校勘,考証に秀で,後の考証学の基礎を作る。青年時戯作にも遊び,《跖(せき)婦人伝》は談義本と洒落本を結ぶ傑作として,追随作を多く生んだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山岡浚明
やまおかまつあけ
(1726―1780)

江戸中期の国学者。江戸・本所石原新町の幕臣山岡景(かげひろ)の次男。通称左次右衛門。号は盍簪楼(こうしんろう)主人、梅橋散人、大伴宿禰(おおとものすくね)、澹斎(たんさい)など、剃髪(ていはつ)後は明阿弥陀仏(みょうあみだぶつ)、明阿。狂名大蔵千文。34歳、賀茂真淵(まぶち)に入門(後年離門したと伝えられる)。博覧強記で知られ、五十音引きの百科事典『類聚名物考(るいじゅうめいぶつこう)』(内閣文庫本・342巻目録1巻標題18巻。1755ころ起筆)や武蔵(むさし)国に関する諸書の記事を集成した『武蔵史料』(15巻。1761起筆)を編纂(へんさん)したほか、前期洒落(しゃれ)本の秀作『跖婦人(せきふじん)伝』(3巻3冊。1753刊)、いわゆる江戸三大奇文の一つ『逸著聞集』(3巻3冊。1771跋(ばつ)なる)を著すなど、多彩な活躍をした。安永(あんえい)9年10月15日京都で客死。55歳。墓は大津市の園城寺(おんじょうじ)(三井寺)光浄院と東京都港区元麻布の竜沢寺とに現存する。[梅谷文夫]
『中野三敏著『山岡浚明年譜考』(近世文学史研究の会編『近世中期文学の諸問題2』所収・1969・文化書房博文社) ▽山本幸子著『山岡浚明』(『文学遺跡巡礼 国学篇3』所収・1941・光葉会)』

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世界大百科事典内の山岡浚明の言及

【辞書】より

…谷川士清(ことすが)の《和訓栞(わくんのしおり)》93巻(1777(安永6)以後の刊行)は古語のほか俗語方言なども収め,五十音順であり,太田全斎の《俚言(りげん)集覧》(増補本は1900)は俗語を集めたもので,アカサ…イキシ…の順で並べてある。 このほか特殊辞書には,語源辞書として松永貞徳の《和句解》(1662∥寛文2),貝原益軒の《日本釈名》(1700∥元禄13),新井白石の《東雅》(1717(享保2)成立),契沖の提唱した歴史的仮名遣いを整理増補した楫取魚彦(かとりなひこ)の《古言梯》(1764(明和1)成立),方言辞書で越谷吾山《物類称呼》5巻(1775∥安永4),類書として寺島良安の《和漢三才図会(ずえ)》105巻(1712(正徳2)成立),山岡浚明の《類聚名物考》(1903‐05)などがある。
[明治時代以後]
 ヨーロッパの辞書の影響を受けて,その体裁にならった辞書が生じた。…

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