志摩庄(読み)しまのしよう

日本歴史地名大系 「志摩庄」の解説

志摩庄
しまのしよう

現甲府市西方から敷島しきしま町にかけてのあら川沿いにあった。立庄の時期はわからないが、建久七年(一一九六)六月一七日の源頼朝書状(松尾神社文書)では、領主である松尾まつお(現京都市西京区)年貢を対捍する地頭を訴えたのに対し、源頼朝は「甲斐国志摩庄」については年貢定数を遵守するよう地頭に命じる旨を約束しているから、平安末期までさかのぼることは間違いない。敷島中下条なかしもじようにある松尾神社は、本社松尾社を勧請した当庄の鎮守社ではなかろうか。当庄年貢を対捍した地頭についても判然としないが、小松氏・飯田氏・塩部氏らの祖とされる武田有義、安田義定の子で志摩四郎を称した忠義などの甲斐源氏が候補としてあげられよう。再び当庄の名が登場するのは正応六年(一二九三)三月一七日の九条家文庫文書目録(九条家文書)で、同目録には当庄関係の文書が六合ほどあったと記載される。その量は訴訟事件のあった播磨国田原たわら(現兵庫県福崎町)五合と並んで圧倒的に多い。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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