朝日日本歴史人物事典 「志水燕十」の解説
志水燕十
生年:享保11(1726)
江戸中期の戯作者。大田南畝の『蜀山人判取帳』によれば,その素性は幕府御家人鈴木庄之助で,根津の清水町に住んだので,戯名もそれによる。別号に裡町斎,奈蒔野馬乎人などがある。安永末年(1781年ごろ)から戯作界に登場し,滑稽本,洒落本,黄表紙さらには狂歌と,当時の幕臣戯作グループの典型的な活動ぶりを示す。絵も鳥山石燕門人として結構知られた存在であったらしい。寡作ではあるが,気の利いた趣向の作が多く,滝沢馬琴の『江戸作者部類』に「他事によりて罪を蒙りて終わる所を知らず」とあるように,没する以前に何らかのさしさわりが生じて戯作から身を引いたようで,さもなければなお活躍した戯作者であったに違いない。蓬莱山人の『愚人贅居続借金』には,当時の戯作者連中の代表者のひとりに数えられてもいる。<参考文献>浜田義一郎「志水燕十と唐来三和」(『江戸文芸攷―狂歌・川柳・戯作』)
(中野三敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報