改訂新版 世界大百科事典 「鳥山石燕」の意味・わかりやすい解説 鳥山石燕 (とりやませきえん)生没年:1712-88(正徳2-天明8) 町狩野(まちがのう)の絵師,江戸座の俳諧師。本姓は佐野,名は豊房。船月堂,零陵洞,月窓などと号した。喜多川歌麿の絵画上の師であり,同時に養父的存在でもあった。彼の絵本《石燕画譜》(1774)は木版ぼかし技法を用いた最も初期の例で,《塵塚談》によれば肉筆の役者似顔絵の創始者にも擬せられるなど,浮世絵版画の技法やジャンルの発展に重要な位置を占める。歌麿のほか,戯作者の志水燕十や浮世絵師の栄松斎長喜を育てた。執筆者:狩野 博幸 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鳥山石燕」の解説 鳥山石燕 とりやま-せきえん 1713-1788 江戸時代中期の浮世絵師。正徳(しょうとく)3年生まれ。江戸の人。狩野玉燕(かのう-ぎょくえん)にまなび,人物画,妖怪(ようかい)の絵を得意とした。門人に喜多川歌麿(うたまろ)らがいる。俳諧(はいかい)もまなび,絵入り俳書の挿絵をかいた。天明8年8月3日死去。76歳。本姓は佐野。名は豊房。別号に船月堂,月窓など。作品に「百鬼夜行」「石燕画譜」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by