志賀直温(読み)シガ ナオハル

20世紀日本人名事典 「志賀直温」の解説

志賀 直温
シガ ナオハル

明治〜昭和期の実業家



生年
嘉永6年2月24日(1853年)

没年
昭和4(1929)年2月16日

出生地
陸奥国中村(福島県)

学歴〔年〕
慶応義塾〔明治9年〕卒

経歴
陸奥中村藩士・志賀直道の子に生まれる。明治4年上京して尺振八の塾に入り、ついで慶応義塾に転じ、9年卒業して帰郷。12年福島県の第一銀行に入る。18年同行を辞して総武鉄道の創設に参画し、26年設立と同時に専務就任。日本醋酸製造取締役、東洋薬品取締役、帝国生命保険取締役、第一火災海上保険取締役なども務めた。志賀直哉の父。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「志賀直温」の解説

志賀直温 しが-なおはる

1853-1929 明治-昭和時代前期の実業家。
嘉永(かえい)6年2月24日生まれ。陸奥(むつ)中村藩(福島県)藩士志賀直道の子。志賀直哉の父。明治12年福島県の第一銀行にはいる。26年総武鉄道創立に参加し,専務に就任。東洋薬品,帝国生命保険などの取締役もつとめた。昭和4年2月16日死去。77歳。慶応義塾卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の志賀直温の言及

【志賀直哉】より

…大正・昭和期の小説家。宮城県石巻に生まれ,東京山手で育つ。父直温(なおはる)は慶応義塾出身の実業家。直哉に強い影響を与えた祖父直道は旧相馬藩の家臣。長男夭折のため次男直哉は祖母留女(るめ)の手で育てられた。学習院時代より内村鑑三の教会に通い,渡良瀬川の鉱毒事件被害地視察のことより父と対立。また落第したため武者小路実篤らと同級となる。1906年学習院から東大に進んだが中退。武者小路や木下利玄らと回覧雑誌を発行,これが下級の里見弴や柳宗悦らに影響を与え,10年4月《白樺》の創刊となる。…

※「志賀直温」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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