思々斎塾跡(読み)ししさいじゆくあと

日本歴史地名大系 「思々斎塾跡」の解説

思々斎塾跡
ししさいじゆくあと

[現在地名]西区京町堀二丁目

蘭学者中天游の私塾で、近世坂本さかもと町を南北に通る千秋橋せんしゆうばし筋の北東角にあった。天游は天明三年(一七八三)に生れ、名は環、字は環中で、思々斎とも号した。丹後の出身で父は上田河陽という儒医であったが、母教戒の旧姓を継いで中氏となった。初め儒学を古賀精里に学び、江戸で大槻玄沢の芝蘭しらん堂に入門して一年間蘭学を学んだが、主として京都でその弟子の海上随鴎(稲村三伯)について蘭学と医術を学び、師の没後娘さだを妻として西宮にしのみや(現兵庫県西宮市)で医業を開業した。文化一四年(一八一七)大坂に移り住み、当初うつぼ、二―三年のち江戸堀えどぼり五丁目、さらに坂本町に移り住んで思々斎塾を開き、医業のかたわら弟子の教育にあたった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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