恒性皇子(読み)つねなりおうじ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「恒性皇子」の解説

恒性皇子 つねなりおうじ

1305-1333 鎌倉時代,後醍醐(ごだいご)天皇皇子
嘉元(かげん)3年生まれ。京都の真言宗大覚寺の寛尊(かんそん)法親王のもとで出家,恒性(こうしょう)法親王と号する。大覚寺門跡(もんぜき)となるが,元徳4=元弘(げんこう)2年還俗(げんぞく)。同年後醍醐天皇が隠岐(おき)に流される際,幕府により越中(富山県)に配流,幽閉される。正慶2=元弘3年5月10日越中守護の名越氏に殺害された。29歳。通称は大覚寺宮,越中宮。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android