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恒明親王 つねあきしんのう

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

恒明親王 つねあきしんのう

1303-1351 鎌倉-南北朝時代,亀山天皇の第7皇子。
乾元(けんげん)2年5月9日生まれ。母は昭訓門院。天皇の寵愛(ちょうあい)をうけ,その所領と常磐井(ときわい)殿をゆずられ常磐井宮(初代)といわれた。一品(いっぽん)式部卿に任じられた。建武(けんむ)3=延元元年足利尊氏比叡山(ひえいざん)攻めに対し,大将軍として防戦した。観応(かんのう)2=正平(しょうへい)6年9月6日死去。49歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

恒明親王

没年:観応2/正平6.9.6(1351.9.26)
生年:嘉元1.5.9(1303.6.24)
亀山天皇の皇子。母は昭訓門院西園寺瑛子。父の寵愛を受け,大覚寺統の将来の皇儲にと遺勅されたが,異母兄の後宇多上皇はこれを履行せず,皇位獲得の夢を実現せぬままに没した。常盤井宮。入道一品式部卿。<参考文献>森茂暁『鎌倉時代の朝幕関係』

(森茂暁)

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世界大百科事典内の恒明親王の言及

【八条院】より

…しかし亀山上皇は関東に申し入れて八条院領の伝領承認を求め,幕府もこれを認めたので,この荘園群はすべて亀山の管領下に入り,大覚寺統の最大の経済的基盤となったのである。1302年(乾元1)亀山はいったんそのすべてを後宇多上皇に譲るが,05年(嘉元3)これを改め,庁分を後宇多に与えたのみで,他の御願寺領を後宇多の異母弟恒明親王に譲る。06年(徳治1)の目録によると荘園数はさらに増えているが,亀山の死後,後宇多は安楽寿院領を除き他の御願寺領を恒明から取り戻し,08年(延慶1)一期(いちご)の後(当人死後)はすべて後二条天皇の子邦良親王に譲与する条件で,子息尊治親王(後醍醐天皇)に譲った。…

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