昭訓門院(読み)しょうくんもんいん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「昭訓門院」の意味・わかりやすい解説

昭訓門院
しょうくんもんいん

[生]文永10(1273).京都
[没]延元1=建武3(1336).6.26. 京都
亀山天皇後宮藤原瑛子。父は太政大臣藤原実兼,母は内大臣源通成の娘。正安3 (1301) 年亀山法皇の仙洞に入侍して,従三位,次いで准三宮となり,院号宣下を受けて昭訓門院と号した。恒明親王はその所生である。嘉元3 (05) 年法皇の死後,尼となり真性覚と称した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「昭訓門院」の解説

昭訓門院 しょうくんもんいん

1273-1336 鎌倉時代,亀山上皇の妃。
文永10年生まれ。父は西園寺実兼,母は源通成の娘顕子。正安(しょうあん)3年亀山上皇の後宮にはいり,院号をあたえられる。乾元(けんげん)2年恒明(つねあき)親王を生む。建武(けんむ)3=延元元年6月26日死去。64歳。名は藤原瑛子(えいし)。法名は真性覚。

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朝日日本歴史人物事典 「昭訓門院」の解説

昭訓門院

没年:建武3/延元1.6.26(1336.8.3)
生年:文永10(1273)
鎌倉後期の女院。亀山法皇の妃。太政大臣西園寺実兼の次女で,名は瑛子。正安3(1301)年1月,29歳で亀山の後宮に入り,3月従三位,次いで院号宣下。嘉元1(1303)年恒明親王を生む。同3年,亀山の死により出家。兄公衡と共に恒明を後見した。

(秋山喜代子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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