恒枝保(読み)つねえだほ

日本歴史地名大系 「恒枝保」の解説

恒枝保
つねえだほ

現小浜市のきた川流域、おそらく太良たら庄・松永まつなが保と隣接した地域に散在していたと思われる国衙領。のち京都嵯峨法花堂に便補された。

恒枝の名は大治元年(一一二六)三月日付若狭国恒枝名田坪付帳案(東寺百合文書)に「松永保内恒枝名田坪付事」と松永保内の一名としてみえ、のちこの恒枝名田を中心に太良保が建立された(→太良庄。恒枝名田との具体的関係は不明だが、嘉禄二年(一二二六)五月八日付雲厳譲状案(同文書)に恒枝保がみえ、この時太良保とともに辻太郎家仲に譲渡されている。ただ恒枝保はこれ以前、いったん次郎なる者に譲られたが、彼が「度々大事等時、不加方言、不致(ママ)恩」という有様だったので、返進させ家仲に再譲渡されたものであった。なお先の坪付帳案にも、その肩に「雲厳文也」などの記載がある。弘長二年(一二六二)三月一六日、若狭国御家人辻乗蓮(家仲)陳状(東寺百合文書)が作成されたが、それによれば彼はこの頃、同国御家人中原右衛門時国女と雲厳の養子たることをめぐって相論しており、その相論の渦中で太良・恒枝両保も問題にされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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