日本歴史地名大系 「恵利原村」の解説 恵利原村えりはらむら 三重県:志摩郡磯部町恵利原村[現在地名]磯部町恵利原神路(かみじ)川を挟んで南と北とにあり、磯部九郷の最大の集落である。南は迫間(はさま)村と接する。正和四年九月文書(下之郷南氏旧蔵)に「伊雑神戸(中略)神戸ノ内江利原」とある。字宮地沖(みやじおき)に古墳時代遺跡があり須恵器・瓷器、字正月殿(しようがつでん)には弥生―奈良期の弥生土器・土師器・須恵器片が出土している。字穂落(ほおとし)には佐美長神社(さみながじんじや)遺跡があって縄文土器・弥生土器・土師器、須恵器片が出土した。当村から逢坂(おうさか)山を越えて山田(現伊勢市)に通ずる道に沿って街村状に集落が発達している。式内社の粟嶋坐神乎多乃御子(あわしまにますかみおたのみこ)神社に比定される佐美長神社があり「倭姫命世記」に鶴の穂落し伝承を記し、「彼稲生地千田止号支、在島国伊雑方上、其処伊佐波登美神宮造奉、為皇太神為摂宮、伊雑宮此也、彼鶴真鳥乎号、称大歳神、同処税宛奉也」とあり、明治以前は大歳(おおとし)社とよばれていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by