惣の尻遺跡(読み)そうのじりいせき

日本歴史地名大系 「惣の尻遺跡」の解説

惣の尻遺跡
そうのじりいせき

[現在地名]阿東町大字徳佐上 惣の尻

徳佐とくさ盆地の盆地床を流れる市場いちば川に近い沖積段丘に立地する弥生時代の土壙群。昭和五二年(一九七七)発掘調査を行った(「坂手沖尻遺跡・惣の尻遺跡」山口県教育委員会・一九七八年)

一千五〇〇平方メートルの調査区域から四四基の土壙を検出。その多くは長円形か不整の長円形を呈し、四基の溝状の細長い土壙もある。

出土遺物には弥生時代前期末葉から中期前半のものが多く、中期後半の土器も少量含まれている。壺形土器には羽状文や木葉文で飾ったものが多いが、櫛描きの波状文もあり、頸部に凸帯を施すものもみられる。甕は頸部から肩部にかけて一条から八条もの平行沈線文を付すものと、無文で刷毛目を残すものがある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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