日本歴史地名大系 「愛智庄」の解説
愛智庄
えちのしよう
- 滋賀県:愛知郡
- 愛智庄
現
愛智庄
えちのしよう
- 滋賀県:愛知郡
- 愛智庄
坂本日吉社領庄園。琵琶湖に接していたことはわかるが、現在地は不明。貞永二年(一二三三)四月日の明法勘文(大安神社文書)に「日吉社領愛智御庄」とみえ、領主が二人いて上下に分けて知行し、課役も均等に勤めているが、相論となり上下の境を定めたいため明法家の意見を申請し、明法家は実検して等分するよう勘進している。これによれば、当庄は康和年中(一〇九九―一一〇四)に建立され、永久年中(一一一三―一八)に官符を請けたが、私的に上下に分けて知行するようになったもので、正式には官符を得ていないという。また上下に分けた際に、上方の領主神主成房と下方の領主禰宜友永との間で起請文と契状が作成されている。それによれば、水田の面積は上方が二一九町六段、下方は二六〇町の約四八〇町で、下方は本田が増したので浜際の荒廃田は免じたとあり、草刈菅菰漁捕は互いに制止しないとあるので、琵琶湖に接していたことがわかる。
愛智庄
あいちのしよう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報