感状山城跡(読み)かんじようさんじようあと

日本歴史地名大系 「感状山城跡」の解説

感状山城跡
かんじようさんじようあと

[現在地名]相生市矢野町森 感状山

三濃みのう山から南に派生した尾根の先端、標高三〇一メートルの感状山上に築かれた中世の山城跡。瓜生うりゆう城あるいは下原山城ともよばれる。国指定史跡。城跡の南一キロを古山陽道が通る。感状山の呼称は、建武三年(一三三六)赤松則祐が当城に籠り、新田義貞軍を防いだ功績により足利尊氏から感状を賜ったことに由来するという(播磨鑑・播磨古城記)瓜生の呼称は鎌倉時代に瓜生左衛門尉が築いたからとの伝承によるという(岡城記)。戦国時代に赤松義村・晴政・義祐を経て則房が在城したが、天正五年(一五七七)羽柴秀吉の播磨攻略に遭い落城したという(播磨古城記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「感状山城跡」の解説

かんじょうさんじょうあと【感状山城跡】


赤松氏城跡(あかまつししろあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報