日本歴史地名大系 「慈眼院跡」の解説 慈眼院跡じげんいんあと 茨城県:結城市結城城下大谷瀬町慈眼院跡[現在地名]結城市結城 大谷瀬町結城城東館(ひがしだて)南東の小丘上に位置。宝永五年(一七〇八)の結城町明細帳之控(田宮家文書)によれば乗国(じようこく)寺末で、福聚山と号し曹洞宗。朱印地四石。創建の詳細は不明。乗国寺四世信及前豚に帰依していた結城政勝を開基檀越とするという。本尊は政勝が守本尊にしていたという観音菩薩。本尊を安置した観音堂は、八尺四方に造られていたので八尺(はつしやく)堂ともよばれ、政勝の遺骸も埋葬されたと伝えられている(乗国寺文書、結城御代記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報