日本歴史地名大系 「結城城下」の解説
結城城下
ゆうきじようか
〔中世〕
弘治二年(一五五六)に制定された「結城氏新法度」の三二条には、
とみえ、当時の城下には、
〔近世〕
天正一八年(一五九〇)八月、羽柴秀康が結城晴朝の養子となってこの地に入部すると、結城氏領の変革を開始した。近世城下の建設もその一環として行われたもので、同二〇年の奈良文書には、職人集住令の内容をもつものもみられる。秀康は新城下町の建設地として、結城城西側の台地を選んで町割を実施した。こうして成立した新城下には、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報