慈雲院跡(読み)じうんいんあと

日本歴史地名大系 「慈雲院跡」の解説

慈雲院跡
じうんいんあと

[現在地名]弘前市新寺町

新寺しんてら寺院街、報恩ほうおん寺の東隣にあった。現在は廃寺となり、寺跡は県立弘前高校校地となる。法雷山と号し、黄檗宗曹洞宗長勝ちようしよう末寺であった。

享和三年(一八〇三)の寺社領分限帳(国立史料館蔵)によれば、享保一〇年(一七二五)五代藩主津軽信寿の時代に城下に黄檗宗の寺院を建立することになり、廃寺となっていた長勝寺末寺の法雷山慈雲院を、黄檗宗に改宗して建立したとみえる。同一七年藩より寺禄五〇俵を給されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む