日本歴史地名大系 の解説
慶長年間甲斐国四郡古高帳(慶長古高帳)
けいちようねんかんかいのくによんぐんこたかちよう
成立 慶長年間か
解説 甲斐国四郡の村高および寺社領の石高を記したもの。慶長八年の江戸開府後まもなく全国から徴収されたという慶長郷帳の甲斐国の記録と思われ、前半は山梨郡・巨摩郡・八代郡・都留郡の順に村高・支配・村名を書上げ、郡末に郡ごとの村高の合計が書かれている。後半は甲州寺社領分として、万力筋・栗原筋・大石和筋・小石和筋・中郡筋・西郡筋・武川筋・辺(逸)見筋・北山筋・河内筋(領)の順に、郡内領を除く九筋一領の寺社領の石高・所在村名・寺社名が記され、筋ごとに石高の合計が付いている。帳末には三千四六七石余の寺社領を含めて二四万一千一四一石余の甲斐国石高が記されている。このうち一八万三千八五一石が御蔵入分で、そのほかは鳥井(鳥居)土佐守二万石・成瀬隼人一万石以下河村内記五〇石まで、二四人の領主名が記されている。最後の部分には、七二〇ヵ村の内訳が郡内八〇村・河内一一九村・国仲(国中)五二一ヵ村となっている。この古高帳の村高は、在地に残る慶長検地帳に記された村高と比較してもわかるように、升までで合以下は省略されている。また都留郡を例にとると、八〇ヵ村と帳末にあるが実際は七三ヵ村しか記載されておらず、その合計は一万六千四〇〇石を少し超えるのみで、この古高帳記載の都留郡高二万石には四千石近く不足している。さらにその領主は鳥井(鳥居)土佐守で二万石と記されているが、鳥井土佐守知行との記載があるのは二ヵ村のみで、ほかは御蔵入となっている。本書は昭和八年に広瀬広一・赤岡重樹両氏が流布本三本を校訂したものであるが、村名の不明個所や村高・寺社領高の誤写と思われる部分も少なくないので利用にあたって注意が必要である。しかし慶長六年・同七年の大久保長安による慶長検地後の村高・寺社領高を伝える貴重な史料である。
活字本 甲斐叢書一
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報