日本歴史地名大系 「成信坊」の解説 成信坊じようしんぼう 愛知県:津島市津島村成信坊[現在地名]津島市本町延享五年(一七四八)の村絵図では津島村本郷の中央で巡見街道に面している。久遠山と号し、真宗大谷派。本尊は阿弥陀如来立像。「成信坊世代」に「往昔ハ天台宗ニテ其草創年暦ハ不伝、七世慶専、親鸞聖人ノ第五世綽如上人ノ時、一向宗ニ帰依シテ直参トナル」と伝えている。阿弥陀如来画像裏書に綽如時慶が「明徳二年辛未四月、願主慶専」と書いているから、寺伝は事実であろう。天正三年(一五七五)九月二九日、慶専七世の孫祐念が長島(ながしま)で本願寺教如の身代りとなって討死という由緒(雑志)によって江戸時代は津島御坊と称している。「近年、本山の懸所と称し、大に繁昌」(尾張名所図会)した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by