旺文社世界史事典 三訂版 「戴 季陶」の解説
戴 季陶
たいきとう
Dài Jì-táo
中国国民党右派の理論家
浙江 (せつこう) 省の出身。名は伝賢,筆名の天仇で知られた。日本に留学,孫文の秘書として著述を助け,日本研究家として著名。孫文の死後,三民主義と共産主義の究局的不一致を主張し,国共合作に反対,黄埔軍官学校教官・中山大学校長・国民政府考試院長・最高国防委員を歴任。最後は自殺ともいわれる。
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