中国国民党と中国共産党との〈合作〉(提携)をいう。前後2回実現して中国現代史の展開に決定的な意義をもった。
コミンテルンは,1920年,帝国主義との闘争において民族・植民地解放運動と同盟する戦略を決定し,中国における唯一のブルジョア革命政党,中国国民党に働きかけた。国民党の指導者孫文はソ連の援助を受け入れたが,中国共産党との合作においては党と党との提携ではなく,中国共産党員が個人として国民党に加入する党内合作の形式を要求した。1924年1月,国民党第1回全国大会は〈連ソ・容共・労農援助〉の新政策を決定し合作は正式に発足した。孫文の死後もソ連軍政顧問団の支援と労農の組織化にあたった中国共産党の努力で広東国民政府の基盤は急速に強化されたが,国民党内には左翼勢力の伸張を恐れ,蔣介石を中心とする反共・限共の動きが公然化した。北伐戦争が開始され国民政府が武漢に進出した27年4月,蔣介石らは上海,広東で反共クーデタを起こして国民政府を分裂させ,武漢国民政府によった国民党左派も7月,反共に転じて国共合作は崩壊した。中国共産党は武装闘争を開始し,10年間にわたる国共内戦が続く。
1935年,コミンテルンは従来の極左路線を転換し,反ファッショ統一戦線戦術を採択,中国共産党に指示して内戦の停止,一致対外を呼びかける八・一宣言を発せしめた。長征を終えて陝西北部の根拠地に到着した中国共産党は統一戦線政策の具体化に乗りだし,36年9月には逼蔣抗日(蔣を抗日に追いこむ)の方針を確定,西安事件の平和的解決によってまず蔣に内戦の継続を断念させた。その後,合作の条件をめぐって国共両党の交渉は難航したが,37年,日中戦争勃発後の9月23日,国民政府が中国共産党の合法的地位を承認し,合作が実現した。中国共産党は土地革命を停止し,ソビエト政府を解消して陝甘寧特区政府に改編し,工農紅軍は国民政府軍の建制によって第八路軍3個師に改編,江南に残留した遊撃隊は別に新編第四軍を編成した。国民党は政治犯を釈放し,38年には国民参政会を設置し,中国共産党および各党,各界の人士を招いて諮問機関とした。だが蔣介石独裁の反動性は変わらず,武漢失陥(38年10月)後は日本軍の後方で抗日根拠地を拡大し,民主改革を実施する中国共産党を憎悪し,39年,41年,43年の3回にわたり,八路軍,新四軍,抗日根拠地に武力攻撃を発動するなど,国共合作を決裂寸前にまで追いこんだ。これに対し中国共産党は連合もし,また実力で対処しつつ,蔣介石の抗日放棄,反共優先の利敵行為を大衆的に暴露し,国民党支配地域において内戦再開反対の世論を盛りあげ,抗日民族統一戦線=国共合作の方針を日本軍の降服にいたるまで維持することができた。
なお81年,中国共産党は台湾に逃れた国民党政権に対し,民族の平和的統一のため第3次国共合作を呼びかけたが,その成否はまだ予測を許さない。
執筆者:小野 信爾
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中国国民党と中国共産党が結んだ二度の協力関係をいう。第一次(1924~27)は北方軍閥と、その背後にいる帝国主義列強に対して、第二次(1937~45)は日本帝国主義に対して統一戦線が組まれたもので、前者は国民革命(北伐)において、後者は抗日戦争において決定的役割を果たした。
[野澤 豊]
第一次国共合作は、中国共産党員の国民党への個別加入の形をとった。アジアの民族運動を重視したコミンテルンの援助を得て、孫文(そんぶん/スンウェン)は1922年から国民党の改組に着手し、広東(カントン)に革命政権を再建するとともに、これを大衆的基盤にたつ革命政党へ脱皮させようとした。成立してまもない中国共産党も、コミンテルンの指導の下に、民族革命政党との提携を決めた。24年1月の国民党一全大会で、連ソ・容共・工農扶助の三大政策が採用され、国共合作が発足した。同年秋、孫文は国民会議の開催を提唱して北上し、それに伴って労農運動は飛躍的な発展を遂げた。国民革命は進展し、北伐の過程で27年武漢に革命政権が樹立された。その間、革命勢力の内部で対立が強まり、蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)は国民党右派と結び、帝国主義列強、浙江(せっこう)財閥を背景に反革命に転じ、国民党左派や中国共産党と手を切って南京(ナンキン)政府をたて、全国制覇を目ざしたことから、新軍閥とよばれるに至った。武漢政府の崩壊後、中国共産党は右翼日和見(ひよりみ)主義を清算し、土地革命を進め、江西ソビエトを成立させて、南京政府に対抗した。そこから、10年にわたる国共内戦の勃発(ぼっぱつ)となった。
[野澤 豊]
第二次国共合作は、国共両党の対等な立場での政策協定という形をとった。国民党軍の江西ソビエトに対する包囲を脱して長征に移った中国共産党は、1935年の八・一宣言で、満州事変後に強まった日本の中国侵略に対して、抗日民族統一戦線を提唱した。同年の一二・九運動や、翌年の西安(せいあん)事件を経て、内戦停止、一致抗日の声は強まり、国民党も政策転換を余儀なくされたが、日本の先制攻撃で37年7月、日中戦争開始とともに、国共合作が具体化した。陝北(せんほく)ソビエトは辺区政府となり、紅軍は八路軍、新四軍と改称されて前線に向かった。国民党は奥地に重慶(じゅうけい)政府をたて、辺区包囲の態勢をとるようになったが、中国共産党はゲリラ戦を展開して、日本軍の背後に抗日根拠地を拡大していった。45年、このような戦線配置のまま、国共両党は太平洋戦争の終結を迎え、その生死を賭(か)けた再度の内戦に突入することになった。
内戦が決着して、1949年に中華人民共和国が成立し、国民党は台湾に政権を樹立して今日に至っているが、しだいに北京(ペキン)側からの第三次国共合作の呼びかけが強まっているのが現状である。
[野澤 豊]
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中国国民党と中国共産党との協力体制をいう(1924~27年,37~46年)。中国共産党は1922年国民党との合作を決め,国民党は24年共産党党員の個人の資格による国民党入党を認め(党内合作),大衆的基盤を固め,国民革命を推進することができた。しかし労農運動の高揚は,国民党上層部をおびやかし,27年7月ついに国共は分裂した。30年代前半の日本の満洲,モンゴル,華北への進出は,中国人の間に国共内戦反対,一致抗日の要求をたかめ,西安事件を契機に国共は合作への道に進んだ。日中戦争中,国民党は再三国共関係を悪化させたが(皖南(かんなん)事件など),分裂に至らなかった。戦後の46年7月,ついに内戦となり国共は分裂した。
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2回にわたる中国国民党と中国共産党との提携関係。
1第1次(1924.1~27.7)。孫文がコミンテルンの意見をうけいれ,中国共産党員が個人的に国民党に入党することで実現した。1924年1月の国民党第1回大会は,連ソ・容共・農工扶助の政策を定め,国民革命をめざした。27年蒋介石の反共クーデタをへて,武漢政府内の共産党員は排除されて第1次合作は終了。
2第2次(1937.9~45.8)。1936年12月の西安事件により,内戦停止・一致抗日の主張を確認。翌年7月に日中戦争が勃発すると国共両党は急速に接近し,中共軍が八路軍に改編され,周恩来・朱徳ら中共代表が国防最高会議に参加する形で合作が実現した。日本降伏後,中国の支配権をめぐる対立から国共内戦がおこり,合作は崩壊した。
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…このような,国家としてのソ連の立場と各国共産党の利害の相克という状況は,1920年代後半の中国国民革命をめぐるコミンテルンの対応のなかにも再現された。1922年8月以降,国民党と共産党の間には提携関係が存在していたが(第1次国共合作),反帝反封建闘争の深化とともに,国民党右派と共産党の対立は不可避となっていく。このような事態に対するコミンテルンの対応は,ソ連指導部内の分派抗争とからみ,スターリンは保守的現状維持の立場から,トロツキーに反対して国共合作路線を最後の瞬間まで支持し,蔣介石による反共クーデタ(1927年4月)の成功をみすみす許した。…
…くわえて21年7月には,ロシア革命の道を歩もうとする中国共産党が誕生した。このときコミンテルンは東方に革命をもとめ,また孫文の方でも中国の革命に対する国際的援助をもとめていたので,双方の利害は一致し,ここに国共合作が日程にのぼることとなった。プロレタリアートの前衛党である共産党とブルジョア政党との合作協力は,半植民地・半封建社会における抑圧者=帝国主義と封建主義,とりわけそれらの政治的代理人である軍閥に対する統一戦線として可能となったものである。…
※「国共合作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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