国共合作(読み)こっきょうがっさく(英語表記)Guo-gong he-zuo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

国共合作
こっきょうがっさく
Guo-gong he-zuo

中国革命史上最も重要な2政党,中国国民党中国共産党による連携協力。両党は,革命の進展状況を反映して対立と協力を繰返した。中国共産党は,1921年7月創立当初はその勢力が微弱であったため,国民党との合作を目指した。これは,20年 V.レーニンコミンテルン第2回大会で提起した「民族および植民地問題に関するテーゼ」の植民地解放闘争におけるブルジョアジーの役割重視によるものであった。国民党も孫文=ヨッフェ共同宣言 (1923) を経て両党の合作を承認し,共産党員がその党籍を保持したまま,個人として国民党に参加する形での第1次国共合作が成立した。共産党員はこの間,国民党内部で指導的役割を果しつつ第1次国内革命戦争 (24~27) を戦い,同時に労働運動,農民運動を指導して革命運動における影響力を急速に強めたが,これが国民党内左右両派の対立を招いた。 27年4月,蒋介石を頭とする右派は,上海で反共クーデターを起して多数の共産党員,労働者を虐殺,第1次国共合作は終焉した (→上海クーデター ) 。この国共合作の崩壊は共産党に壊滅的打撃を与え,従来の政策に対する根本的な自己批判を迫られた。第2次国共合作は,毛沢東が共産党の指導権を掌握することにより党の後退局面を止揚し,日本軍の華北侵略を背景に西安事件をきっかけとして実現した。中国工農紅軍は国軍の新四軍八路軍に改編されたが,しばしば最も困難な戦局を担当させられ,実質的には内部対立が激化していった。これは抗日戦勝利後も続き,毛沢東,蒋介石の重慶交渉 (45.8.) は失敗に終り,全面的内戦に発展,49年 10月,中華人民共和国の成立で共産党の勝利が確定し,国民党の指導部は台湾に逃亡した。 81年中国の全国人民代表大会委員長,葉剣英が第3次国共合作を提起,1980年代以降,半官半民の対話と交流が始っている。しかし,台湾は三不政策を堅持,また中国は台湾の民主化や野党の勢力拡大により国民党主導の交渉に不安を抱き,あらゆるレベルにおける交渉を主張している。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

国共合作

国民党と共産党は1924年に北洋軍閥などに対抗するために「第1次国共合作」と呼ばれる協力関係を築いた。その後、対立関係に戻ったが、36年の西安事件や37年の盧溝橋事件を受け、「抗日民族統一戦線」を構築(第2次国共合作)した。日本の敗戦後、中国は内戦状態になり、49年、国民党は台湾に逃れ、共産党は中華人民共和国の成立を宣言した。

(2006-08-30 朝日新聞 朝刊 2総合)

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百科事典マイペディアの解説

国共合作【こっきょうがっさく】

中国国民党と中国共産党の提携・協力体制。1924年―1927年,1937年―1946年の2回。第1次は孫文五・四運動以後追求し,連ソ・容共・工農扶助政策のもとに推進。中共党員の個人的国民党入党を容認,国民党改組で実現。国民革命を指向した。第1次北伐後の1927年武漢政府の中共党員追放を機に分裂。第2次は1935年8月の八・一宣言,1936年の西安事件を機に進展し,1937年7月の日中戦争勃発(ぼっぱつ)により抗日戦遂行の立場から合作が再現。第2次大戦後1946年の内戦再開により分裂した。
→関連項目何香凝減租減息抗日戦争周恩来蒋介石西山派孫文譚平山中華人民共和国中華民国中国共産党中国国民党中国農民協会南京国民政府二五減租八路軍武漢政府辺区毛沢東ヨッフェ四・一二クーデタ李大【しょう】

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世界大百科事典 第2版の解説

こっきょうがっさく【国共合作 Guó gòng hé zuò】

中国国民党と中国共産党との〈合作〉(提携)をいう。前後2回実現して中国現代史の展開に決定的な意義をもった。
[第1次(1924年1月~27年7月)]
 コミンテルンは,1920年,帝国主義との闘争において民族・植民地解放運動と同盟する戦略を決定し,中国における唯一のブルジョア革命政党,中国国民党に働きかけた。国民党の指導者孫文はソ連の援助を受け入れたが,中国共産党との合作においては党と党との提携ではなく,中国共産党員が個人として国民党に加入する党内合作の形式を要求した。

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大辞林 第三版の解説

こっきょうがっさく【国共合作】

中国国民党と中国共産党との政治提携。第一次(1924~1927)は共産党員が個人の資格で国民党に入党するという形で実現され、第二次(1937~1945)は抗日民族統一戦線結成のため、共産党が国民党に戦線加入を呼びかけ成立した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

国共合作
こっきょうがっさく

中国国民党と中国共産党が結んだ二度の協力関係をいう。第一次(1924~27)は北方軍閥と、その背後にいる帝国主義列強に対して、第二次(1937~45)は日本帝国主義に対して統一戦線が組まれたもので、前者は国民革命(北伐)において、後者は抗日戦争において決定的役割を果たした。[野澤 豊]

第一次

第一次国共合作は、中国共産党員の国民党への個別加入の形をとった。アジアの民族運動を重視したコミンテルンの援助を得て、孫文(そんぶん/スンウェン)は1922年から国民党の改組に着手し、広東(カントン)に革命政権を再建するとともに、これを大衆的基盤にたつ革命政党へ脱皮させようとした。成立してまもない中国共産党も、コミンテルンの指導の下に、民族革命政党との提携を決めた。24年1月の国民党一全大会で、連ソ・容共・工農扶助の三大政策が採用され、国共合作が発足した。同年秋、孫文は国民会議の開催を提唱して北上し、それに伴って労農運動は飛躍的な発展を遂げた。国民革命は進展し、北伐の過程で27年武漢に革命政権が樹立された。その間、革命勢力の内部で対立が強まり、蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)は国民党右派と結び、帝国主義列強、浙江(せっこう)財閥を背景に反革命に転じ、国民党左派や中国共産党と手を切って南京(ナンキン)政府をたて、全国制覇を目ざしたことから、新軍閥とよばれるに至った。武漢政府の崩壊後、中国共産党は右翼日和見(ひよりみ)主義を清算し、土地革命を進め、江西ソビエトを成立させて、南京政府に対抗した。そこから、10年にわたる国共内戦の勃発(ぼっぱつ)となった。[野澤 豊]

第二次

第二次国共合作は、国共両党の対等な立場での政策協定という形をとった。国民党軍の江西ソビエトに対する包囲を脱して長征に移った中国共産党は、1935年の八・一宣言で、満州事変後に強まった日本の中国侵略に対して、抗日民族統一戦線を提唱した。同年の一二・九運動や、翌年の西安(せいあん)事件を経て、内戦停止、一致抗日の声は強まり、国民党も政策転換を余儀なくされたが、日本の先制攻撃で37年7月、日中戦争開始とともに、国共合作が具体化した。陝北(せんほく)ソビエトは辺区政府となり、紅軍は八路軍、新四軍と改称されて前線に向かった。国民党は奥地に重慶(じゅうけい)政府をたて、辺区包囲の態勢をとるようになったが、中国共産党はゲリラ戦を展開して、日本軍の背後に抗日根拠地を拡大していった。45年、このような戦線配置のまま、国共両党は太平洋戦争の終結を迎え、その生死を賭(か)けた再度の内戦に突入することになった。
 内戦が決着して、1949年に中華人民共和国が成立し、国民党は台湾に政権を樹立して今日に至っているが、しだいに北京(ペキン)側からの第三次国共合作の呼びかけが強まっているのが現状である。[野澤 豊]

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精選版 日本国語大辞典の解説

こっきょう‐がっさく コクキョウ‥【国共合作】

中国国民党と中国共産党との提携。第一次は国民政府が実現した一九二四~二七年、第二次は西安事件後の一九三七~四六年で、抗日統一戦線を結成して日本に抵抗した。〔増補改訂新聞語辞典(1936)〕

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世界大百科事典内の国共合作の言及

【コミンテルン】より

…このような,国家としてのソ連の立場と各国共産党の利害の相克という状況は,1920年代後半の中国国民革命をめぐるコミンテルンの対応のなかにも再現された。1922年8月以降,国民党と共産党の間には提携関係が存在していたが(第1次国共合作),反帝反封建闘争の深化とともに,国民党右派と共産党の対立は不可避となっていく。このような事態に対するコミンテルンの対応は,ソ連指導部内の分派抗争とからみ,スターリンは保守的現状維持の立場から,トロツキーに反対して国共合作路線を最後の瞬間まで支持し,蔣介石による反共クーデタ(1927年4月)の成功をみすみす許した。…

【中華民国】より

…くわえて21年7月には,ロシア革命の道を歩もうとする中国共産党が誕生した。このときコミンテルンは東方に革命をもとめ,また孫文の方でも中国の革命に対する国際的援助をもとめていたので,双方の利害は一致し,ここに国共合作が日程にのぼることとなった。プロレタリアートの前衛党である共産党とブルジョア政党との合作協力は,半植民地・半封建社会における抑圧者=帝国主義と封建主義,とりわけそれらの政治的代理人である軍閥に対する統一戦線として可能となったものである。…

※「国共合作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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