戸地車町・戸地炭町(読み)とじくるままち・とじすみまち

日本歴史地名大系 「戸地車町・戸地炭町」の解説

戸地車町・戸地炭町
とじくるままち・とじすみまち

[現在地名]相川町戸地

戸地川河口部両岸にできた町。ともに鉱山景気のもとで生れ、早くに消滅。車町は右岸にあり、「佐渡年代記」の寛永三年(一六二六)の項に「戸地村の川通に水車を建、今年より鏈(鉱石)粉成こなしす。買石かいし共もあり、最初は公儀買石と名付、相川より鏈を廻し、粉成は勿論、吹立をもなしたる処」とあり、水車による鉱石粉砕淘汰(選鉱)が行われ、買石(選鉱・製錬業者)とそれに付属する労働者が住んだ。戸中とちゆう村の氏神大山祇おおやまづみ神社(旧村社)も、車町に山の神として勧請され、享保二年(一七一七)に現在地へ遷ったという説がある。正徳三年(一七一三)の人口は、四九人(金泉郷土史)。「佐渡風土記」によると、寛永四年七月粉成所付近の戸地川において、佐渡奉行鎮目市左衛門は鱒狩の最中に死亡したと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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