日本歴史地名大系 「戸宇村」の解説 戸宇村とうむら 広島県:比婆郡東城町戸宇村[現在地名]東城町戸宇請原(うけばら)村の南に位置する。村域西北部の頭谷(とうだに)を水源とする戸宇谷(とうだに)川は村の中央部を東南流し、川西(かわにし)村で東城川に合流する。一方、西部の吹矢谷(ふきやだに)を水源とする吹矢谷川は東流して紙屋(かみや)で戸宇谷川に合流する。また北部の間谷(あいだに)川は北流して請原村に入る。集落は戸宇谷川・吹矢谷川に沿ったやや広い盆地や、これら支流の谷筋の狭長な平地に散在する。村内には縄文早期初頭の尖頭器や縄文早・前・後期の土器や石器が出土した戸宇牛川岩陰(とううしかわいわかげ)遺跡、弥生後期の二〇基の集団土壙墓群と二ヵ所の炉跡が発見された戸宇大仙山(とうだいせんやま)遺跡、弥生終末期の五基の土壙墓群から特殊器台形土器などが発見された牛川(うしかわ)遺跡、弥生時代の磨製石斧が出土した津々良(つづら)遺跡、牛川古墳をはじめとする二八基の古墳、古墳時代の土師器や須恵器が散乱出土する後谷(うしろだに)遺跡や峠迫(たわざこ)遺跡などが確認されており、古くから開かれていたことがうかがえる。「和名抄」所載の奴可(ぬか)郡斗意(とお)郷の地とされ、「芸藩通志」などは村名はその遺名であろうと記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by