戸田光重(読み)とだ みつしげ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「戸田光重」の解説

戸田光重 とだ-みつしげ

1622-1668 江戸時代前期の大名。
元和(げんな)8年生まれ。戸田忠光の長男。叔父戸田康直(やすなお)が嗣子なく急死し,寛永11年播磨(はりま)(兵庫県)明石(あかし)藩主戸田(松平)家2代となる。16年転封(てんぽう)となり,美濃(みの)(岐阜県)加納藩主。7万石。大坂城番をつとめた。寛文8年7月30日死去。47歳。通称は孫四郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の戸田光重の言及

【戸田氏】より

…近世大名。正親町三条(おおぎまちさんじよう)家の支流ともいわれ,中世三河国の大族,戸田宗光より出る。宗光嫡流の康長は徳川家康から松平姓を賜り,所々に封じられて最後は信濃国松本城主となる(7万石)。その子の康直は播磨国明石城主に,次の光重は美濃国加納城主に,孫の光熙(みつひろ)は山城国淀城主に転封され,次の光慈(みつちか)は志摩国鳥羽城主,ついで1725年(享保10)に松本城主に移されて,以後明治に至った(松本藩)。…

※「戸田光重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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