朝日日本歴史人物事典 「戸田康光」の解説
戸田康光
生年:生年不詳
戦国時代の武将。三河田原城主戸田政光の子。通称孫四郎,官途名は弾正少弼。名は宗光ともいった。祖父に当たる憲光のとき,戸田氏は今川氏に仕え,また康光の娘真喜姫が松平広忠の後妻に迎えられるなど,松平氏とは近い関係にあった。しかし次第に尾張の織田信秀に接近しはじめ,天文16(1547)年8月には,今川義元のもとに送られるはずだった松平竹千代(家康)一行をあざむいて織田信秀のもとに届け,織田方としての旗幟を鮮明にした。その結果,同年今川の大軍に田原城を攻められ,子尭光と共に討死した。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報