戸町番所跡
とまちばんしよあと
[現在地名]長崎市国分町
江戸時代に置かれた番所の跡。対岸の西泊番所と合せ沖の両番所とも(長崎外交紀略)、千人番所とも称された(長崎名勝図絵)。寛永一八年(一六四一)筑前福岡藩は幕府の命で長崎湊口にあたる戸町下郷の海方に番所を築造、西泊番所とともに警備にあたった。翌年肥前佐賀藩が警備を命じられ、以後元治元年(一八六四)七月の廃止まで佐賀藩および福岡藩が隔年交替で警備にあたった。当初はキリスト教の伝来やポルトガル船の来航に対する警備が主目的で、オランダ船の来航が増加するとこれに対する警備が中心となり、中国船については怠るふうがあった。正保四年(一六四七)六月マカオのカリアン船二艘が伊王島(現伊王島町)沖から長崎に入津、石火矢・武具などの引渡しに応じなかったため、長崎奉行の指示で戸町・西泊に陣所が置かれたほか、西泊・戸町に福岡藩が警固に入り、船数二三三艘・人数一万一千七三〇人が動員されたという(崎陽群談)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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