日本大百科全書(ニッポニカ) 「手なし娘」の意味・わかりやすい解説
手なし娘
てなしむすめ
昔話。両腕を切り取られた継子(ままこ)の苦難を主題にした継子話の一つ。継母が継子の娘を憎み、家来に殺すよう命ずる。家来は殺すに忍びず、娘の両腕だけを斬(き)り落として山に捨てる。娘はのどが渇き、店の果物を盗み食いする。そこは娘の許婚者の家で、気がついた息子が娘を迎え入れ、結婚する。夫が旅に出ている間に、娘は男の子を産む。出産の知らせの手紙を若者に持たせ、旅先まで行かせる。途中、若者は娘の実家に寄り、娘の消息を伝える。継母は手紙を、鬼のような子が生まれたが捨てようかと書き換える。その手紙を見た夫は、鬼でもよいからたいせつにしろと手紙を書いて若者に渡す。使いの若者はまた娘の実家に寄る。継母は、親子とも捨ててしまえと書き換える。夫の両親は手紙を見て、しかたなく嫁と孫を追い出す。背中の子供が落ちそうになったのを助けようとすると両手が生える。その後夫と巡り会い、幸福に暮らす。
この昔話は高野山(こうやさん)の女人堂の由来譚(たん)になっており、1869年(明治2)の写本『高野山女人堂由来記』が知られている。娘を佐渡国の宿屋紀ノ国屋の娘の小杉(おすぎ)、夫を佐渡金山の代官の片岡氏の息子植松とし、2人がそれぞれ上人(しょうにん)と尼になり、高野山に植松山木食(もくじき)寺と、小杉女人堂を開いたとある。新潟県から中国、四国地方にかけては、娘の名をオスギとして、高野山や弘法大師(こうぼうだいし)の信仰を説く類話が分布している。この由来記のような形で、「手なし娘」の昔話が語られた時代があったらしい。
類話はヨーロッパでは12世紀末から17世紀にかけてのいろいろな文献にもみえ、全域にわたって数多く分布している。アジアでは朝鮮、ミクロネシア、インド、アラブ、トルコなどに少数の類話が知られているほか、タタール人やモンゴル人には、ややまとまって伝わっている。この話は中央アジアを経て広まったのかもしれない。朝鮮、中国とビルマ(ミャンマー)のタイ人、インドなどには、両腕のかわりに両眼を失うとするやや変化した類話がある。古い時代に「手なし娘」と分化したものであろう。
[小島瓔]