手結湊(読み)ていみなと

日本歴史地名大系 「手結湊」の解説

手結湊
ていみなと

[現在地名]夜須町手結

中世以前の夜須湊は夜須川河口東岸にあり、天正一六年(一五八八)の夜須庄地検帳には「ウトノクチ先口ノ湊 今ハ川イヘ 一所弐反十四代四歩□ 古湊□ 散田」とあり、現在千切ちぎれ集落のある付近に湊谷みなとだになどの地名伝承が残る。一方、現在の手結港はその南にあるが、手結山とほとけ岬が東と南の風波をさえぎるこの地は、人工が加わる以前から船着場に利用されてきたと思われ、寿永元年(一一八二)平家方に追われた夜須行家が船出した仏崎ほとけざき(吾妻鏡)はここであろう。

前記地検帳では、現在の港周辺には約一一〇筆の屋敷(寺領を除く)があり、そのなかに水主四五人の居屋敷が記される。屋敷のほとんどは広さ五代に均分され、しかも多くは「上屋敷」である。その盛んな様子などから、さほど遠くない時期に掘削整備と地割がなされたものとみられる。港口南岸の奥には、長宗我部水軍の部将池六良左衛門と、港番役浜口関衛門の居屋敷が並んでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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