日本歴史地名大系 「手結湊」の解説
手結湊
ていみなと
中世以前の夜須湊は夜須川河口東岸にあり、天正一六年(一五八八)の夜須庄地検帳には「ウトノクチ先口ノ湊 今ハ川イヘ 一所弐反十四代四歩□ 古湊□ 散田」とあり、現在
前記地検帳では、現在の港周辺には約一一〇筆の屋敷(寺領を除く)があり、そのなかに水主四五人の居屋敷が記される。屋敷のほとんどは広さ五代に均分され、しかも多くは「上屋敷」である。その盛んな様子などから、さほど遠くない時期に掘削整備と地割がなされたものとみられる。港口南岸の奥には、長宗我部水軍の部将池六良左衛門と、港番役浜口関衛門の居屋敷が並んでいる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報