朝日日本歴史人物事典 「手越の少将」の解説
手越の少将
平安末・鎌倉初期の駿河国(静岡県)手腰宿の遊女。大磯の虎,黄瀬川の亀鶴とならぶ海道一の遊女といわれる。建久4(1193)年5月の源頼朝の富士野の巻狩のときに,工藤祐経,王藤内に招かれた遊女で,『吾妻鏡』にもその名がみえる。少将は工藤祐経の愛人となり,祐経が曾我兄弟に討たれたのちは,「生死無常のはかなき事」を感じ,身の罪深さを悟り,出家した。虎と少将はふたりで善光寺に赴き,のち虎と共に大磯の高麗寺に入る。70歳ほどで他界したという。
(飯沼賢司)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報