日本歴史地名大系 「手隈村」の解説
手隈村
てぐまむら
〔中世〕
治承四年(一一八〇)一一月二八日の惣政所僧等定使職補任状写(福田文書)に「生手・手隈」とみえ、定使職に平包守が補任された。文治二年(一一八六)包守の子の包貞(兼貞)が鎌倉殿(源頼朝)から「彼杵庄内手隈野并老手村」の地頭職を与えられており、御家人になっていた。同職は包貞の親父「字隈平三包盛」が所帯していたが、肥前
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報