拝志町(読み)はいしちよう

日本歴史地名大系 「拝志町」の解説

拝志町
はいしちよう

[現在地名]今治市喜田村きたむら 拝志

今治平野の南部、頓田とんだ川の河口に近く、喜多きた村とひがし村に囲まれる。拝志はやし郷の中心と推定され、付近には国分こくぶ城・里城さとのじようや古社寺もあり、また金比羅道の道筋にあたり、今治開町以前から城下町門前町として町家が並んでいた。

慶長九年(一六〇四)頃は加藤嘉明の所領で、嘉明の弟忠明が城代として拝志の城におり、町は町奉行によって治められていた。しかし町与力五右衛門らが今治藩藤堂高吉の家臣と乱闘事件を起こし、その責任をとって忠明は京都東福とうふく寺で出家、高吉も南予の(現東宇和郡野村町)に蟄居した(高山公実録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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