日本歴史地名大系 「持田庄」の解説
持田庄
もちだのしよう
現松江市の北東部、
暦仁二年(一二三九)二月九日の後鳥羽上皇手印置文(水無瀬神宮文書)と翌一〇日の後鳥羽上皇書状案(水無瀬神宮三条西家文書)によると、隠岐に配流となっていた後鳥羽上皇は離宮水無瀬殿(水無瀬神宮の前身)を守っていた水無瀬親成に家領加賀・持田両所の相伝を認めている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現松江市の北東部、
暦仁二年(一二三九)二月九日の後鳥羽上皇手印置文(水無瀬神宮文書)と翌一〇日の後鳥羽上皇書状案(水無瀬神宮三条西家文書)によると、隠岐に配流となっていた後鳥羽上皇は離宮水無瀬殿(水無瀬神宮の前身)を守っていた水無瀬親成に家領加賀・持田両所の相伝を認めている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...