日本歴史地名大系 「掃守庄・掃守保」の解説 掃守庄・掃守保かもりのしよう・かもりほ 兵庫県:三原郡三原町掃守村掃守庄・掃守保「和名抄」所載の三原郡幡多(はた)郷に成立した国領と庄園。三原川と支流の成相(なりあい)川の合流地点から上流、両川に挟まれた現榎列掃守(えなみかもり)を中心とした一帯に比定される。久寿二年(一一五五)一二月二九日の太政官符案(随心院文書)に淡路国秦郷にある掃守庄がみえ、田一二町・畠六町であった。同官符案では鳥羽上皇の院司藤原長実(美福門院の父)が創建し、美福門院御願寺となっていた弘誓(ぐぜい)院(現京都市南区)領である当庄などに対し、造内裏役大嘗会役などの国役以下が免除されている。弘誓院は領家とみられる。本家職は美福門院から八条院に伝領され、安元二年(一一七六)二月日の八条院領目録(山科家古文書)に弘誓院領として当庄がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by