搦目城跡(読み)からめじようあと

日本歴史地名大系 「搦目城跡」の解説

搦目城跡
からめじようあと

[現在地名]白河市大・藤沢山・藤沢・八竜神

東流する阿武隈川上流右岸の比高四六メートルの急峻な白河丘陵上にあり、眼下に阿武隈川を一望する。北側山麓を谷津田やんた川が東流し、城跡東端で阿武隈川に合流する。白川(白河)城ともいう。東西約八五〇メートル・南北約六〇〇メートルで、中央に南北八〇メートル・東西七五メートルの主郭がある。主郭の周囲に帯郭がめぐり、西に二の郭がある。主郭の北の藤沢山ふじさわやまや、北東鐘撞堂かねつきどうなどにも郭があり、数段の帯郭が取巻いている。文治五年(一一八九)の奥州合戦の功により結城朝光は白河庄以下三郡を与えられ、孫祐広が一三世紀中頃に搦目城に下向して白河庄南方を知行し、結城白川氏となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む