撫佐村(読み)むさむら

日本歴史地名大系 「撫佐村」の解説

撫佐村
むさむら

[現在地名]鳴門市瀬戸町撫佐せとちようむさ

中島田なかしまだ村の東、島田島の南東部に位置し、ウチノ海の北西部に細長い海岸線を有する。東端がウチノ海と鳴門海峡に通ずる狭小な堀越ほりこし水路である。島田島で最も高い島田山(撫佐山、一六四メートル)の頂が東方のむろ村、北方大島田おおしまだ村、西方の中島田村、南方の撫佐村の分岐点をなしている。大部分が山で、狭小な平野部はウチノ海に面した集落周辺にある。「鳴門辺集」によると、どう浦のうちであったが、慶長年中(一五九六―一六一五)淡路志知川しちがわ(現兵庫県西淡町)からやってきた人々により開かれて村となり、開基者喜平は庄屋役を命じられたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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