日本歴史地名大系 「播磨大中遺跡」の解説 播磨大中遺跡はりまおおなかいせき 兵庫県:加古郡播磨町大沢村播磨大中遺跡[現在地名]播磨町大中印南野(いなみの)台地の縁辺部にあって、標高一三メートル前後の段丘中央部に立地する。国指定史跡。東西約四五〇メートル・南北約一五〇メートルで、面積六万平方メートル以上と想定される。播磨町側を播磨大中遺跡、隣接する加古川市側を山之上(やまのうえ)遺跡と別称する。旧石器が遊離した状況で出土し、集落の最盛期は弥生時代から古墳時代にかけてである。昭和三七年(一九六二)から同六三年まで一七次の発掘調査が行われた。竪穴住居跡は六六棟、うち弥生中期の可能性のあるもの一棟、弥生後期―古墳時代前期三六棟、古墳時代中期二棟、時期不明二七棟、ほかに土壙・溝状遺構・掘立柱建物などがある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by