播磨町(読み)はりまちよう

日本歴史地名大系 「播磨町」の解説

播磨町
はりまちよう

[現在地名]南区安堂寺あんどうじ町二丁目

善安ぜんなん筋を挟んで内安堂寺うちあんどうじ町の西に続く両側町。町名は明暦元年(一六五五)には播磨町といったが(南区志)、古くは播磨鍛冶はりまかじ町と称した(初発言上候帳面写)。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数二三・役数二六役で、うち年寄一役が無役。年寄は大和屋治右衛門。慶応三年(一八六七)の宗旨人別帳(中之島図書館蔵)によると屋敷数二二・役数二六役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。


播磨町
はりまちよう

面積:九・〇九平方キロ

加古郡の南西部の平野に位置する。東は明石市、北西加古川市に接し、南は瀬戸内海に面する。町の中央部を東西に山陽電鉄・JR山陽新幹線、国道二五〇号が通り、北東部をJR山陽本線が通る。古代以来加古郡に属し、「播磨国風土記」に阿閇あへ津・阿閇村が記され、古代・中世には摂津住吉神社領の阿閇あえ庄があった。江戸時代には町域に一一ヵ村があり、一〇ヵ村は一貫して姫路藩領、二子ふたご村のみ領主変遷があった。明治二二年(一八八九)の町村制施行により加古郡阿閇あえ村が成立。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「播磨町」の意味・わかりやすい解説

播磨〔町〕
はりま

兵庫県南部,明石・加古川両市の間にある町。 1962年阿閇村を改称して町制。播磨灘に面し,播磨工業地域の一部。明暦年間 (1655~58) 加古川に水源を求めた新井用水が完成するまでは水不足に悩まされたが明治以降,深層地下水の開発に伴い,繊維化学肥料製鉄などの工場が立地。 1970年代に入って別府港修築東播磨港新設と呼応して造成された広大な埋立て地に重化学工業地区が形成された。弥生時代大中遺跡 (史跡) がある。面積 9.13km2。人口 3万3604(2020)。

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