ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「撻懶」の意味・わかりやすい解説
撻懶
だつらん
Ta-lan; T`a-lan
[没]天眷2(1139)
中国,金の将軍。撻攬とも書く。姓名は宗顔昌。撻懶は女真名。太祖,太宗の叔父にあたる盈歌 (えいか。穆宗〈ぼくそう〉) の子。初め遼と戦い,また元帥左監軍として宋と戦った。のち捕虜となっていた秦檜 (しんかい) を南宋に帰し,対金和議工作をさせ,天眷1 (1138) 年金・宋和議が成立。撻懶は右副元帥として魯国王に封じられた。だが斉国領の一部を南宋に返還する条件に不満をもつ宗翰,宗弼 (そうひつ) らによって,翌年謀反を理由に誅殺された。
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