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中国、南宋(なんそう)の思想家。江西省金渓(きんけい)の人。字(あざな)は子静(しせい)、号は存斎、象山(しょうざん)先生と称された。兄の九齢(復斎)とあわせて江西の二陸といわれ、朱子と思想的に対立した。象山の思想は、人間の本心である徳性をしっかりと保持し、利欲に惑わないことを第一とした。朱子が経書(儒教の古典)をよく読み、知的に深めていくことを重視したのに対し、象山は本心に基づく道徳的実践を重視した。人はみな、古来の諸聖人と同じ心を生まれつき保有していて、しかも道徳的な判断力や感覚、すなわち「理」をもっている。心が理を備えていることを「心即理」といった。心に内在する天理を信じ、これに従って行動することを強調した結果、儒教古典としてたいせつな六経(りくけい)でさえも「我が心の注脚」とみるようになった。経書に注釈を書くことに努めた朱子とはこの点が対立する。象山と朱子はしばしば手紙で論争し、1175年には江西省の鵝(が)湖で会見したが意見は一致しなかった(鵝湖の会)。朱子は象山を、学問を軽んずる実践主義者と評し、象山は朱子を、実践を軽んずる知的博学主義と評した。象山の門下の楊簡(ようかん)(慈湖)は、やがて静坐(せいざ)主義となり、禅思想とも似てきた。元(げん)代になると朱陸折衷の学風がおこったが、明(みん)代中期に王陽明(守仁(しゅじん))は、象山の「心即理」の思想を認め、そこから「致良知」という新しい思想を生み出し、朱子学を批判する陽明学となった。
[山下龍二 2016年2月17日]
『友枝龍太郎他編『陽明学大系 第4巻 陸象山 上』(1973・明徳出版社)』▽『高瀬武次郎著『陸象山』(1924・内外出版)』▽『三島復著『陸象山の哲学』(1926・東京宝文館)』▽『山下龍二著『陽明学の研究 上』(1971・現代情報社)』
「陸象山」のページをご覧ください。
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
… 易は未来を占うものだが,名をつける際に卦を立てることもある。また,南宋の陸九淵(象山)は地方官であったとき,冬に雪が降らないのでその年の凶作を心配し,乾の卦を描いて堂に掲げ,香花を供えて雪を祈ったといわれる。また,易占によって射覆(せきふ)(おおいの中身をあてる透視術)をし,易者の力くらべをする座興も行われた。…
…中国哲学の用語。言葉としては,北宋の契嵩(かいすう)や程頤(伊川)も使用しているが,特定の哲学的立場を象徴的に明示するためにとくに心即理と表現したのは南宋の陸九淵(象山)である。朱熹の性即理に対する反措定として主張したのである。…
… 同じ南宋に,朱子学に対立する思想家が生まれた。それは朱子と同時代人の陸九淵(象山)である。両者の立場の相違は,人間の心の見方の違いから始まる。…
※「陸九淵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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