平安末期の歌人。父は正二位右大臣藤原公能(きんよし)、母は藤原俊忠の女(むすめ)。正二位左大臣に至り、後徳大寺(ごとくだいじ)左大臣と称された。『和漢兼作(わかんけんさく)集』に漢詩が載るなど和漢兼作の人であったほか、神楽(かぐら)、今様(いまよう)、琵琶(びわ)の名手としても知られた。歌会、歌合(うたあわせ)にも庇護(ひご)者として広く出詠し、藤原俊成(しゅんぜい)の甥(おい)であることから、晩年は御子左(みこひだり)家に近い立場をとった。建久(けんきゅう)2年閏(うるう)12月16日没。歌風はおおらかだが、一時沈淪(ちんりん)を経験したこともあって繊細さもあわせもち、述懐歌も多い。家集に『林下集(りんげしゅう)』、日記に『庭槐(ていかい)抄』がある。『千載集』以下に入集(にっしゅう)。
ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる
[川上新一郎]
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