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藤原実定 フジワラノサネサダ

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デジタル大辞泉の解説

ふじわら‐の‐さねさだ〔ふぢはら‐〕【藤原実定】

[1139~1191]平安末期の公卿・歌人。左大臣。家集「林下集」、日記「庭槐抄」など。後徳大寺(ごとくだいじ)実定。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原実定 ふじわらの-さねさだ

徳大寺実定(とくだいじ-さねさだ)

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原実定
ふじわらのさねさだ
(1139―1191)

平安末期の歌人。父は正二位右大臣藤原公能(きんよし)、母は藤原俊忠の女(むすめ)。正二位左大臣に至り、後徳大寺(ごとくだいじ)左大臣と称された。『和漢兼作(わかんけんさく)集』に漢詩が載るなど和漢兼作の人であったほか、神楽(かぐら)、今様(いまよう)、琵琶(びわ)の名手としても知られた。歌会、歌合(うたあわせ)にも庇護(ひご)者として広く出詠し、藤原俊成(しゅんぜい)の甥(おい)であることから、晩年は御子左(みこひだり)家に近い立場をとった。建久(けんきゅう)2年閏(うるう)12月16日没。歌風はおおらかだが、一時沈淪(ちんりん)を経験したこともあって繊細さもあわせもち、述懐歌も多い。家集に『林下集(りんげしゅう)』、日記に『庭槐(ていかい)抄』がある。『千載集』以下に入集(にっしゅう)
 ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる[川上新一郎]

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