教興寺村(読み)きようこうじむら

日本歴史地名大系 「教興寺村」の解説

教興寺村
きようこうじむら

[現在地名]八尾市教興寺・高安たかやすきた一―三丁目・同五―七丁目・高安たかやすみなみ一―二丁目・同七丁目・山本高安やまもとたかやす町一―二丁目

高安山麓を南北一直線に走る東高野街道のすぐ東側に位置する。東の山手黒谷くろだに村、北に郡川こおりかわ村、南に垣内かいち村がある。東高野街道に面して一里松が残り、一里塚の景観を今に伝える。集落北東黒谷に接して真言律宗教興寺がある。産土神の天照大神高座あまてらすおおみかみたかくら神社は延喜式内社。江戸時代には、教興寺の鎮守岩谷いわや弁財天として信仰を集めた。

教興寺を拠点に南北朝時代、また戦国時代に多くの合戦があった。建武四年(一三三七)一一月四日の田代基綱軍忠状(田代文書)によれば、天王寺てんのうじ(現天王寺区)にあった北軍の総大将細川顕氏は、一〇月五日、八尾城が南朝勢に攻められたことにより天王寺を出て八尾へ向かい、教興寺に入った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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