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細川顕氏 ほそかわあきうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

細川顕氏
ほそかわあきうじ

[生]?
[没]正平7(1352).7.5.
南北朝時代の武将。兵部少輔,陸奥守。河内,和泉,阿波,讃岐などの守護。頼貞の子。建武2 (1335) 年以来,足利方として畿南地域に転戦。観応の擾乱に一時は足利直義党についたが,やがて尊氏方となり,正平7 (52) 年には南朝軍の拠る石清水八幡を攻撃。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

細川顕氏 ほそかわ-あきうじ

?-1352 鎌倉-南北朝時代の武将。
細川頼貞(よりさだ)の子。元弘(げんこう)の乱以来足利尊氏にしたがい,河内(かわち)・摂津で楠木正行(くすのき-まさつら)ら南朝方とたたかう。観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)では足利直義(ただよし)方に属したが,のち尊氏に帰順。観応3=正平(しょうへい)7年山城(京都府)男山の石清水八幡宮にこもる南朝方をやぶったが,7月5日病死した。通称は小四郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

細川顕氏

没年:文和1/正平7.7.5(1352.8.15)
生年:生年不詳
南北朝時代の北朝の武将。頼貞の子。通称小四郎。元弘の乱以来足利尊氏に従い,建武1(1334)年,護良親王の鎌倉幽閉ではその警護に当たる。翌年,建武新政が破綻すると従兄弟和氏らと共に四国平定に派遣される。河内,和泉,讃岐の守護,幕府の侍所頭人をも務め,弟定禅 らを後ろ盾に勢力を強めたが,貞和3/正平2(1347)年楠木正行に河内,摂津で敗れる。代わって河内,和泉の守護となった高師直との確執もあり観応の擾乱では最初は直義派に属したが,師直が没落し摂津守護に復すると再び尊氏に帰順。後村上天皇のこもる男山(石清水八幡宮)攻めでは総大将となり南朝軍を破るが,子の政氏を失い顕氏自身も7月に急死した。火を放って多くの堂舎を焼き払った冥罰と評された。和歌にも堪能で,『風雅和歌集』他に7首を残す。また夢窓疎石を尊信し,尊氏に推挙したといわれるほど禅にも造詣が深かった。<参考文献>小川信『細川頼之

(小林保夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ほそかわあきうじ【細川顕氏】

?‐1352(正平7∥文和1)
南北朝時代の武将。頼貞の子。兵部少輔,陸奥守となる。1334年(建武1)護良親王の鎌倉幽閉に際し,その警衛にあたり,翌年,建武新政が破綻すると足利尊氏に従い,河内,摂津で楠木正行ら南朝軍と戦った。幕府内部が尊氏派と直義(ただよし)派に分かれて争った観応の擾乱(じようらん)では,はじめ直義派に属したが,のち尊氏に帰順した。1352年南朝軍の京都攻撃に敗れ,一時四国に退いたが,再び上洛軍を率いて山名師義赤松則祐らとともに男山石清水八幡宮に拠る南朝軍を破った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

細川顕氏
ほそかわあきうじ
(?―1352)

南北朝期の武将。頼貞(よりさだ)の嫡男。生年不詳。通称小四郎。兵部少輔(ひょうぶのしょう)・陸奥守。従四位下。元弘の乱以降足利尊氏・直義(ただよし)に従い、1334年(建武1)護良親王(もりよししんのう)を鎌倉に連行、中先代(なかせんだい)の乱では成良親王(なりよししんのう)と共に鎌倉を脱出する直義に同行したという。1336年一族で四国に渡り、細川氏嫡流の和氏(かずうじ)とともに足利方軍勢催促の中心を担い、四国勢を率いて尊氏と合流後、畿内各所を転戦。1338年(暦応1)には、高師直(こうのもろなお)らと和泉国で北畠顕家(きたばたけあきいえ)を破った。これらの功により、河内・和泉・讃岐・土佐各国の守護を兼ね、侍所頭人(さむらいどころとうにん)に任じられた。しかし1347年(貞和3)楠木正行(くすのきまさつら)と戦って京都に敗走、河内・和泉両国守護は高師泰に与えられた。このため観応の擾乱(じょうらん)では直義方として活躍、和議の成立で和泉国守護を回復した。その後尊氏と直義の対立が再燃すると、尊氏方に転じた。1352年(文和1)後村上天皇が拠る石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)を攻撃、周辺の寺社を焼き払ってようやく勝利したが、直後に没したため、寺社の冥罰(みょうばつ)によるものと評された。法名勝園寺巒興(しょうえんじらんこう)。和歌を好み、『風雅和歌集』などに入集している。[櫻井 彦]
『佐藤進一著『室町幕府守護制度の研究』上・下(1967、1988・東京大学出版会) ▽小川信著『細川頼之』新装版(1989・吉川弘文館)』

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