コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

数寄屋坊主 スキヤボウズ

3件 の用語解説(数寄屋坊主の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

すきや‐ぼうず〔‐バウズ〕【数寄屋坊主】

江戸幕府の職名。数寄屋頭の配下で、将軍をはじめ出仕の幕府諸役人に茶を調進し、茶礼・茶器をつかさどった。御数寄屋(おすきや)坊主。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大辞林 第三版の解説

すきやぼうず【数寄屋坊主】

江戸幕府の職名。若年寄に属し、幕府の茶礼・茶器のことをつかさどった。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

数寄屋坊主
すきやぼうず

茶坊主」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の数寄屋坊主の言及

【茶壺道中】より

…宇治から茶壺を禁裏などに進献する行事は,すでに室町時代にみられるが,統一政権の成立後は豊臣秀吉や徳川家康の代にその原型ができ,3代将軍徳川家光の1632年(寛永9)より制度化した。初期には茶壺を数寄屋坊主2~3人に持たせ,徒士頭(かちがしら)1人と走衆数人を引きつれて宇治にいたり,御物茶師の上林家らに銘茶を選んで詰めさせ,密封して山城愛宕山上に100余日格納したあと,江戸城に持ちかえって将軍や大奥などの飲用に供し,日光廟・久能山にも供え,一方,禁裏・仙洞へも進献した。その後,5代将軍綱吉の代になると,茶壺の愛宕山格納を廃して,帰路は中山道・甲州道中経由,甲斐都留郡の谷村(やむら)城内の風穴に格納したが,さらに1738年(元文3)には東海道を直送,江戸城内の富士見櫓の上層に納めることになった。…

【坊主】より

坊主衆
[武家の職名]
 江戸幕府には同朋頭(若年寄支配)の配下に茶室を管理し,将軍,大名,諸役人に茶を進めることを職務とする奥坊主組頭(50俵持扶持高,役扶持二人扶持,役金27両,御目見以下,土圭間詰,二半場),奥坊主(20俵二人扶持高,役扶持二人扶持,役金23両,御目見以下,土圭間詰,二半場)100人前後,および殿中において大名,諸役人に給事することを職務とする表坊主組頭(40俵二人扶持高,四季施代金4両,御目見以下,躑躅(つつじ)間詰,二半場),表坊主(20俵二人扶持高,御目見以下,焼火間詰,二半場)200人前後があった(この職は大名,諸役人からの報酬が多く,家計は豊かで,そのため奢侈僭越に流れたという)。また茶室に関するいっさいのことをつかさどる数寄屋頭(若年寄支配)の配下に,数寄屋坊主組頭(40俵持扶持高,四季施代金4両,御目見以下,躑躅間詰,二半場),数寄屋坊主(20俵二人扶持高,御目見以下,焼火間詰,二半場)40~100人ほどがあった。このほかには,二条城御殿預(所司代支配)の配下に,坊主(現米10石二人扶持)17人のあったことが知られる。…

※「数寄屋坊主」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

数寄屋坊主の関連キーワード御蔵御台場京狩野鳥羽・伏見の戦い奥坊主細工頭武具奉行江戸上り天守番県令集覧

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

数寄屋坊主の関連情報