武家の職名。茶道をつかさどる。栄西の《喫茶養生記》にみられるように,茶は僧院でねむけさましに用いられたので,武家が茶をたしなみ,茶道として成り立つようになってから後でも,茶儀は遁世(とんせい)者の役とみなされ,その世話をする事も人も〈お茶道〉といった。たとえば《信長公記》に〈茶道は宗易也〉とあるのは,その日の接待役が千宗易(利休)であったことを示す。茶坊主というのも茶の湯坊主の意味である。江戸幕府は本丸,西丸ともに奥坊主,表坊主をおき,剃髪(ていはつ),僧衣で,茶室,茶席を管理し,登城した大名などを案内し,弁当,茶などをすすめ,その衣服,刀剣の世話をさせた。本丸の奥坊主は100人くらい,表坊主は200人をこえたことがあるという。武家社会では低い身分とみられ,講釈や歌舞伎では河内山宗俊のような悪役も振られている。諸大名も城や邸内に茶坊主をおいたが,江戸城ほど大がかりなものではなかった。
執筆者:大森 志郎
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室町・安土(あづち)桃山・江戸時代の武家の職名。単に茶道(さどう)あるいは茶道坊主、茶屋(ちゃや)坊主、数寄屋(すきや)坊主などともいう。また、剃髪(ていはつ)姿で茶の湯に従事したことから坊主の称がある。江戸幕府には、若年寄(わかどしより)配下の同朋頭(どうぼうがしら)のもとに奥坊主組頭(五十俵持扶持(もちぶち)高、役扶持二人扶持、役金二十七両、町屋敷拝領、御目見(おめみえ)以下、土圭間詰(とけいのまづめ)、二半場)数人、奥坊主(元の小納戸(こなんど)坊主。二十俵二人扶持高、役扶持二人扶持、役金二十三両、町屋敷拝領、御目見以下、土圭間詰、二半場)100人前後があって、将軍をはじめ大名や諸役人に殿中において茶を勧めた(ちなみに、表坊主は大名や諸役人の給仕を職掌とした)。なお、このほかにも広間坊主というものがあって湯茶をつかさどったという。ところで、同じ若年寄配下の数寄屋頭のもとに数寄屋坊主組頭、数寄屋坊主、露次作(ろじつくり)役、露次之者があったが、これらはもっぱら茶室と庭園の管理にあたった。
[北原章男]
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