文京遺跡(読み)ぶんきよういせき

日本歴史地名大系 「文京遺跡」の解説

文京遺跡
ぶんきよういせき

[現在地名]松山市文京町

松山市のしろ山の北東寄りのほぼ平地化した緩傾斜地帯、もと城北練兵場跡で、愛媛大・松山商大・松山北高校・御幸中学校・東雲小学校・日赤敷地を含む。

とくに愛媛大学構内の西南端、工学部敷地からは弥生中期の円形ないし隅丸方形住居跡が検出され、中期末の土器紡錘車・石包丁などを出土、松山北高敷地では隅丸方形住居跡から弥生後期末の土師器の甕や砥石が、また商大や日赤敷地からも後期の土器片を出した。さらに愛媛大の海洋工学部敷地では児童の顔をかたどった分銅形土製品破片を出し、これを護符または儀器とした宗教的信仰の存していたことが察せられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む