文姫帰漢図(読み)ぶんききかんず(その他表記)Wén jī guī Hàn tú

改訂新版 世界大百科事典 「文姫帰漢図」の意味・わかりやすい解説

文姫帰漢図 (ぶんききかんず)
Wén jī guī Hàn tú

中国の故事人物画の画題。196年(建安1)南匈奴の右賢王は魏の曹操の意を受けて後漢の献帝を許に移して曹操の保護下におき,帰国した。このとき大学者蔡邕(さいよう)の一人娘蔡琰(さいえん)(字は文姫)を奪って胡地に連れ去り,左賢王の妻とした。文姫は2児の母となり,12年後,蔡邕の友人曹操によって買い戻され,208年洛陽の土を再び踏んだ。この図を一に《胡笳十八拍図》というのは,離別の悲しみを中心に唐の劉商の歌った詩18段にもとづき,18場の物語絵に仕立てたからで,別に文姫の自作と伝える18拍もある。現存遺品は5点,南宋陳居中筆というボストン本断簡4図が最古
胡笳十八拍
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