日本大百科全書(ニッポニカ) 「漢の時代」の意味・わかりやすい解説 漢の時代(年表)かんのじだいねんぴょう 前209 陳勝・呉広の乱起こる。劉邦(りゅうほう)と項羽それぞれ挙兵前206 秦(しん)王の子嬰(しえい)、劉邦に降伏、秦滅びる前202(漢5) 垓下(がいか)の戦い、劉邦、項羽を破る。劉邦、皇帝の位につく(高祖)。翌年、長安を都とす前200(漢7) 高祖、平城において匈奴(きょうど)に囲まれる前196(漢11) 高祖が韓信、彭越(ほうえつ)、英布ら功臣を殺す前195(漢12) 高祖死に、呂(りょ)太后の専政始まる前190(恵帝5) 長安城造営終わる前180(少帝4) 呂太后死に、呂氏一族滅びる。文帝即位前156(景帝1) 田租を収穫量の30分の1と定める前154(景帝3) 呉楚七国の乱前141(後元1) 武帝即位前139(建元2) このころ張騫(ちょうけん)を大月氏に派遣(~前126)前136(建元5) 董仲舒(とうちゅうじょ)の上言を用い五経博士を置く前129(元光6) 衛青、匈奴を討つ。渭渠(いきょ)をうがち、長安と黄河を結ぶ前127(元朔2) 衛青、匈奴を攻め、オルドス地方に朔方(さくほう)・五原の2郡を置く前121(元狩2) 霍去病(かくきょへい)、匈奴を撃破、河西に4郡を設置前119(元狩4) 塩鉄専売の開始。五銖銭(ごしゅせん)を始める。張騫第2回西域遠征。匈奴、漠北に本拠を移す前115(元鼎2) 桑弘羊(そうこうよう)、均輸法を実施前113(元鼎4) 上森の三官で五銖銭を官鋳し、貨幣制度安定する前111(元鼎6) 南越を征して9郡、西南夷を征して5郡を置く。張掖(ちょうえき)・敦煌(とんこう)の2郡を置く前110(元封1) 平準法を施行。泰山封禅(ほうぜん)の儀を行う前108(元封3) 衛氏朝鮮を滅ぼし、朝鮮に4郡を置く前104(太初1) 太初暦制定前99(天漢2) 李陵(りりょう)、匈奴に降(くだ)る前98(天漢3) 酒の専売を始める前97(天漢4) このころ司馬遷(しばせん)『史記』を完成する前91(征和2) 巫蠱(ふこ)の乱起こり、皇太子(戻(れい)太子)・衛皇后ら自殺前87(後元2) 武帝死に、昭帝即位前81(始元6) 賢良・文学を集め塩鉄会議を行う前79(元鳳2) 霍光(かくこう)、実権を握る前74(元平1) 昭帝死に、昌邑(しょうゆう)王即位。昌邑王を廃し、宣帝を迎立前66(地節4) 霍氏の乱、霍氏一族滅び皇后霍氏廃される前60(神爵2) 匈奴の日逐(にっちく)王、漢に降り匈奴分裂。西域都護府を置く前51(甘露3) 五経整備のため石渠閣(せっきょかく)会議開催前44(初元5) 塩鉄官を廃止前40(永光4) 郡国廟(びょう)を廃止前33(竟寧1) 王昭君、匈奴の呼韓邪単于(こかんやぜんう)に嫁す。外戚王鳳(おうほう)、大司馬大将軍となり王氏の専横始まる前16(永始1) 王莽(おうもう)、新都侯となる前8(緩和1) 王莽、大司馬となる前7(緩和2) 成帝死に、哀帝即位後9(始建国1) 王莽、皇帝を称す。前漢滅亡し、新王朝始まる10(始建国2) 六筦(りくかん)・五均の制度を行う。貨幣制度を三変する18(天鳳5) 赤眉(せきび)の乱起こる20(地皇1) 緑林の兵起こる。王莽軍大敗22(地皇3) 劉秀、挙兵23(更始1) 劉玄、帝を称す(更始帝)。昆陽の戦いで劉秀、王莽の兵を破る25(建武1) 赤眉軍、長安に入る。劉秀(光武帝)帝位につき、洛陽に都する。赤眉軍、更始帝を殺す36(建武12) 光武帝、蜀を平定し、天下統一を完成42(建武18) 馬援、交趾(こうち)に遠征、翌年平定48(建武24) 南匈奴、漢に降る。烏丸(うがん)、漢に服属56(中元1) 光武帝、泰山で封禅の儀を行う57(中元2) 倭(わ)の奴(な)国の使者きたる79(建初4) 白虎観で五経を統一整備。このころ『漢書』成る88(童和2) 塩鉄の禁を廃止97(永元9) 西域都護班超(はんちょう)、甘英を大秦国に派遣105(元興1) このころ蔡倫(さいりん)、紙を発明する107(永初1) 羌(きょう)族の反乱。西域都護廃止121(建光1) 許慎(きょしん)の『説文解字』献上される156(永寿2) 鮮卑(せんぴ)の檀石槐(だんせきかい)、北匈奴を破り、モンゴル高原を統一、以後しばしば中国に侵入159(延熹2) 宦官(かんがん)の勢力全盛となる166(延熹9) 大秦王安敦の使者日南に至る。第一次党錮(とうこ)の禁169(建寧2) 第二次党錮の禁起こる178(光和1) 初めて売官を行う184(中平1) 黄巾の乱起こる189(中平6) 袁紹(えんしょう)、宦官を惨殺。董卓(とうたく)、洛陽を制圧し、少帝を廃し、陳留王協(献帝)をたてる190(初平1) 袁紹を盟主に関東の州郡挙兵。董卓、都を長安にうつす192(初平3) 董卓、暗殺される。曹操(そうそう)挙兵。このころ張魯(ちょうろ)が漢中に五斗米道の半独立国家をつくる196(建安1) 曹操、献帝を許にうつす200(建安5) 曹操、袁紹を官渡に破る208(建安13) 曹操、赤壁の戦いに敗れ、天下三分の形勢となる212(建安17) 孫権、建業にうつる214(建安19) 劉備、成都に入る216(建安21) 曹操、魏(ぎ)王となる220(黄初1) 曹操死に、長子の曹丕(そうひ)、献帝を廃し後漢滅びる 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例