改訂新版 世界大百科事典 「文室浄三」の意味・わかりやすい解説
文室浄三 (ふんやのきよみ)
生没年:693-770(持統7-宝亀1)
奈良時代の賜姓皇族。天武天皇の孫で,長親王の子。はじめ智努(ちぬ)王といい,717年(養老1)無位から従四位下,740年(天平12)正四位下となり,木工頭,造宮卿,造離宮司をへて,747年従三位,ついで元正上皇が没したさい御装束司となった。752年(天平勝宝4)文室真人を賜り,文室珍努とも称した。757年(天平宝字1)道祖(ふなど)王の廃皇太子に参画し,池田王を立てようとしたが,受け入れられなかった。同年参議に任じられたらしく治部卿も兼ね,760年中納言となり,また光明皇后が没したおり山作司,761年正三位に昇り,名を浄三と改めた。762年御史大夫(大納言)となり神祇伯を兼ね,764年従二位,同年致仕(ちし)を請うて許された。770年(宝亀1)称徳天皇が没したさい,吉備真備によって皇太子に立てられようとしたが,藤原永手や良継,百川は反対し,浄三も固辞したという。政事のあいだに仏教を敬い,《三界章》《仏法伝通日本記》を著したと伝えられる。
執筆者:西山 良平
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報