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百川 ヒャクセン

デジタル大辞泉の解説

ひゃく‐せん【百川】

100の。また、多くの川。あらゆる川。

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デジタル大辞泉プラスの解説

百川(ももかわ)

古典落語の演目のひとつ。六代目三遊亭圓生が得意とした。オチは間抜オチ。主な登場人物は、料理屋若い衆。「百川」は江戸から明治期にかけて実在した料理屋。実話に基づいたとも、店の宣伝として創作されたともいわれる。

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大辞林 第三版の解説

ひゃくせん【百川】

一〇〇の川。たくさんの川。 「 -海に入るごとく瞬く間ひまに金銭の驚かるゝほど集りけるが/五重塔 露伴

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

百川
ももかわ

落語。田舎(いなか)から出てきた百兵衛は、葭町(よしちょう)の千束(ちづか)屋という桂庵(けいあん)(口入れ屋)からの紹介で日本橋浮世小路の会席料理屋「百川」に奉公することになった。最初の日にたまたま羽織を着ていたため、河岸(かし)の若い衆が飲んでいる2階の部屋へ用を聞きに行かされ、田舎なまりで「わしは主人家(しゅじんけ)の抱(かか)え人」というと「四神剣(しじんけん)の掛け合い人」と取り違えられる。祭礼用具の四神剣を質に入れてしまったので隣町から掛け合いにきたと思われるなど、ユーモラスな会話(やりとり)が続く。ようやく間違いがわかり、今度は長谷川(はせがわ)町の三光新道(さんこうじんみち)へ常磐津(ときわず)の歌女文字(かめもじ)師匠を呼びにやらされる。ところが百兵衛は鴨池(かもじ)玄林という外科医の家へ行き、「河岸の若(わけ)え衆が今朝(けさ)がけに四、五人来(き)られやして」という。医者は「袈裟(けさ)がけに斬(き)られた」と思って飛んでくると歌女文字の間違いとわかる。「抜け作め」「どのくれえ抜けてます」「みんな抜けてらい」「そうかね? か、め、も、じ……か、も、じ……いやぁたった一字だけだ」。6代目三遊亭円生(えんしょう)の十八番であった。[関山和夫]

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世界大百科事典内の百川の言及

【卓袱】より

…いまに続く料亭鳥居本の祖である。その後各地に卓袱料理店が開業し,大坂では野堂町の貴得斎,江戸では神田佐柄木町の山東(山藤)や日本橋浮世小路の百川(ももかわ)などが有名であった。そうした店で供された料理はおおむね日本人好みにアレンジされ,豚肉は魚鳥で代用され,卵料理や揚物の多かったことなどが特色だったようである。…

【料理茶屋】より

…当時の社用族ともいうべき諸藩の江戸留守居役や取引先の商人などを顧客としたこの種の店は〈御留守茶屋〉の称があり,升屋はその最たるものであったため,田沼失脚とともに急激に衰えた。天明期(1781‐89)にはこの升屋のほか,向島の葛西太郎(のち平岩),大黒屋孫四郎,武蔵屋権三郎(麦斗庵),真崎稲荷(現,台東区石浜町)境内の甲子(きのえね)屋,中洲の四季庵,深川八幡社内の二軒茶屋,日本橋浮世小路の百川(ももかわ),神田佐柄木町山藤(さんとう)などが評判の店だったと斎藤月岑(げつしん)の《武江年表》は記している。このうち向島の3店はいずれも〈生簀鯉(いけすごい)〉などと称して鯉料理を看板とし,神田の山藤は卓袱(しつぽく)料理で名があった。…

※「百川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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