朝日日本歴史人物事典 「斎藤寛斎」の解説
斎藤寛斎
生年:文政4.2(1821)
幕末維新の草莽の志士,教育者。最初常次郎,志士名は源次郎,寛斎。上総国武射郡山中村(千葉県芝山町)の出身。父は鈴木玄硯という医者であったが,常次郎14歳のとき死別し,以後苦労を重ね武蔵国荏原郡太子堂村(東京都世田谷区)で髪結稼業をする。文久1(1861)年41歳のとき相楽総三と出会い,志士としての活動に参加し,赤報隊の一員となる。赤報隊潰滅後,太子堂村に戻り,豪農,富農を説得して500両の資金を提供させ,明治4(1871)年1月に太子堂村郷学所を設立。授業料などを無料とし貧農の勉学を奨励した。<参考文献>『世田谷区教育史』資料編1
(森安彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報